「普通の人」
「普通の人生」
「普通」
普通、普通、普通!!!
普通という単語がゲシュタルト崩壊しそうなほど、日本には普通という言葉があふれています。
一方、こういう人もいます。
「普通ってなんだよ!」
「普通な人って誰だよ!」
「普通という言葉は嫌いだ」
「普通なんて、偏見の塊でしかない!」
それでは”普通”とはなんでしょうか?
僕にとって、「普通」という言葉は次のような意味を持ちます。
「普通」とは「自分が普通だと思うもの、ことがら」
完全に自己参照してますね、でもしょうがないと思います。
誰かにとっての「普通」は、他の人にとっての「普通」とは全く違うかもしれません。
似たような言葉に「常識」もありますね。
「普通」も「常識」も、今まで生きてきた人生でできた「偏見」なんじゃないでしょうか?
「偏見はよくないから普通という言葉はよくない!」
という人、それ自体も偏見であることに気づきましょう!
誰しも偏見は持ってると思います。
「あの人は普通じゃない」と言われても、その人にとって普通じゃなかっただけなのです。
「あの人変わってるな」と思っても、あなたにとっての普通じゃなかっただけなのです。
色んな人の「普通」の共通部分が大きければ、それは集団のなかの普通、常識となっていくんじゃないでしょうか。
「自分自身が普通の基準」だと思う人は、それが普通でしょう。
「自分は変わってる」と思う人は、他人を基準として過ごして、それでも自分を曲げてない人かもしれません。
「普通」という言葉が嫌いな人は、本当に普通というものが嫌いなわけじゃなくて、「周りから押し付けられる普通」が嫌いなんだと思います。だって、その人だってその人なりの普通を持っているはずですからね。
ちなみに、僕は、自分自身のことをちょっとだけ普通じゃないと思っています。
普通な部分も十分ありますが、色々と普通じゃない部分もあります。
少なくとも僕の中の普通には、僕は大きく当てはまりません。
あなたが間違っていると思えば、それは普通じゃないのです。
あなたが正しいと思えば、それは普通なのです。
それを他人にどうこう言われて従う義務もないし、他人に無理強いする権利もありません。
しかし、自分の普通を他人と共有する権利はありますし、他人からの共有の誘いを受けたら、聞く耳を持つ義務はあると思います。
しかし、これも僕の普通なんですよね、ここまで読んでくれた人には感謝します、きっと普通ではないのでしょう!
結論
- 普通なんて幻想にすぎない
- でも確かにあなたの中にある
- あなたにとっての普通が、普通なのです。
- 他人にとっての普通も、また普通なのです。
- こんな言葉遊びに付き合ってくれたあなたはきっと(僕にとっての)普通じゃない!
Thank you for your reading!
Good bye :)